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最近、妙に「トゥルーマン・ショー」を見直したい気分が高まっていた。Youtubeをぼーっと眺めていたところ、こんな動画が出てきた。
動画の半分くらいまで見たところで、ネタバレを見て色々思い出す前にちゃんと見直そうと思い、動画を閉じ、改めて「トゥルーマン・ショー」を見直すことにした。
そして動画を途中から再開したところ、今度は「トゥルーマン・ショーはグノーシス主義である」という主張が出てきた。
グノーシス主義といえば、原神がグノーシス主義をモチーフにしているという話を聞いたことがある。そもそも「神の心」は英語ではGnosisだし、「魔神任務」=「Archon quest」のアルコーンはやはり、グノーシス主義においての(偽の)神を意味する。
その主張は知っていたのだが、原神を理解するためにグノーシス主義を学ぶのは、何かチートのような気がして意識的に回避していた。しかし、トゥルーマン・ショーという経路で辿り着いたことで、グノーシス主義の知識をアンロックしようという気持ちになった。ということで、グノーシス主義について学ぶことにした。
グノーシス主義について
以下のような思想だと理解した。正しい解釈についてはAIに聞いたほうが良いと思います。
- この世界は偽の神(デミウルゴス)が作った不完全な搾取装置である
- 人間の魂は本来の神(真の神)からの断片であり、物質世界に閉じ込められている
- このことに気づき(グノーシス)、適切な方法で魂を解放することで、真の神、真の世界へ帰ることができる
要はマトリックスであり、マトリックスはグノーシス主義をほぼ完璧に現代のSFへ翻訳したものだ。
これがわかると、自分が関心を持っている様々な事が、グノーシス主義の影響を受けている事に気づいた。
ユングとの関係
事実として、ユングはグノーシス主義に強い関心を持っていたらしい。つまり、グノーシス主義→ユング→ジョーゼフ・キャンベル→任意の物語 という文化ツリーが存在することになる。
おそらく以下のような対応付けができる。
- プレローマ(本物の世界): ユングの言う「集合的無意識」
- アイオーン(神の様々な側面の現れ): ユングの言う「元型(アーキタイプ)」
- デミウルゴス(傲慢な偽の神): 全体を把握していないのに、自分が世界の中心だと思い込んでいる自我(エゴ)
偽の現実からの脱出Trope
「この世界(を支配しているルール/神)は偽物だと気づきましょう」みたいなテーマは、いろいろな作品に見いだせる。映画ならマトリックスやトゥルーマン・ショーがまさにそれだし、アニメならまどマギ(の特に叛逆の物語)が明らかにそうだった。まどマギのオリジナルシリーズも、叛逆の物語ほどではないがかなり近い物がある。
さらに言えば、任意のデスゲームものは大抵の場合ルールなりGMなりを破壊することで、そのゲームを脱出する。これもまた、グノーシス主義的と言えるかもしれない。
そもそも冒頭の動画でも紹介されていた通り、プラトンの洞窟の比喩も似たようなものだ。それくらい昔から、人間は「もしかしたらこの世界は偽物なのかもしれない」という感覚を持っていたのだろう。
グノーシス主義は結果かもしれない
私がジョーゼフ・キャンベルを好きなのは、この理論がとてもシンプルだからだ。作品Aが作品Bに影響を与え、それが時代精神Cに影響を与え…といった因果関係を無視し、「全ての物語は同じ構造を持つ」と主張する。もちろん、過剰に単純化された理論は危険ではあるものの、オタクのくだらない知識自慢に付き合わされずに済むのは大きい。
それを踏まえると、グノーシス主義(で語られる神話)は文化ツリーの根本と言うよりも、グノーシス主義的発想の実装例の一つという方が正しいのかもしれない。
「この世界は偽物だ」という主張は、現在の世界を好ましく思っていない人にとってはとても魅力的だし、対抗するいかなる論理に対しても相手の公理(対正統派キリスト教ならヤハウェ)を無力化するロジックになる。そしておそらく、歴史上の任意の時点で、現状に満足している人の数が現状に不満を持っている人の数を上回ったことは無いだろう。グノーシス主義は結果であり、原因ではないのだ。
しかし、本物の世界の他に別の世界が存在するという発想自体が、かなり突拍子もないアイデアのように見える。現在のように十分にVR技術が発達していなかった時代に、どのようにして生まれたのだろうか。
そんなことを考えながら気絶したところ、久々に夢を見た。主に中学時代の友人達が登場する、楽しい運動会(文化祭?)の夢だった。内容はともかく、きっと「もう一つの世界」的な発想は、人々が夢を見ることから生まれたのだろう。
「私が寝ている間に見た夢はすごくリアルだったが、起きた今あれは夢だったとわかる。では、今リアルだと思っているこの世界が、より上位の私が眠っている間の夢ではないとどうして良い切れるだろうか?」という胡蝶の夢のロジックだ。
そう考えると、グノーシス主義的な「この世界は偽物かもしれない」という直感は、突拍子もないオカルトなどではなく、人間の脳の構造に最初から組み込まれている基本的な認知のクセだということになる。
偽物の世界仮説の流行?
これが時代に関係なく語り継がれてきたものだとしても、現代においては、グノーシス主義的な「この世界は偽物かもしれない」という直感を合理的に説明しやすい環境が整っているのかもしれない。
世界のEnshittificationは加速し、ますます、この世界はどこかの愚かな存在が作った偽物に過ぎないと信じたくなってきた。というか、世界の「現実らしさ」のようなものが日に日に失われているような気がする。あるいは、世界は現実ではないということに自分が気づきつつあるのかもしれない。後者だとすれば、私は正気を失いつつあるのかもしれない。
一部の情報は古くなっている可能性があります



