目次
原神をプレイし始めて2年。ついに最新バージョンに追いつくことができた!!!!
これによって、理論上、インターネット上の全ての情報がネタバレを恐れずに閲覧可能となりました。なかなか感慨深いものがある。
ということで、スネージナヤ編第4幕までの感想を記録しておきます。
全体について…
スネージナヤ編はそもそも明言されていた旅の終着点であることから、よほど上手いことをやらない限り、基本的にはここで全てのロアと物語は解決を迎えなければなりません。
そういう理由もあってか、スネージナヤ編は思想的バトルとそれを象徴するシンボリズムのようなものが跳梁跋扈しているように感じました。
第4幕までの主要なストーリーアークは、概ね以下の3つに分解できそうです。ナド・クライのときと同様、それぞれについて順に感想を述べていきます。
- スネージナヤ到着
- コロレフスキー劇場での人狼ゲーム
- 死の執政ロノヴァとの決戦
スネージナヤ到着
スネージナヤは神に愛されぬ氷と汚職の国。パイモンが病気になった。気が狂ったスネージナヤ特有ゲームメカニクス!
動機
これまでは、一つの地域を突破したあとは魔神任務の進行を停止し、そして多くの場合長期休養を挟んでから次の地域に進んでいました。
しかし原神の物語全体の終点くらいは、ネタバレを食らう可能性を0%とした上でリアルタイムに目撃したいところです。
そして現在は、第7章第4幕をクリアすることで追加の星5キャラがもらえるイベント開催中!そしてイベント終了期限まであと10日。そもそもナド・クライ編を進めようという覚悟を決めたのも、ワンチャンこれに間に合わせるためでした。
ということで、(おそらくサンドローネさんの復活に関わる世界任務をすっ飛ばして)スネージナヤへ向かいました。
第一印象
南端の雪原に到着。まず音楽が良い!どうやってロシア感を演出してくるのかなと思っていたら、やはりチャイコフスキー感が漂う帝国的雰囲気。
スネージナヤは不毛の地だが、人々はクルースニクの炉が提供する熱源を頼りに生活している。Aquiloかな?
まず驚いたのが、「グライアイの眼」との邂逅から始まるゲームメカニクスの詰め込み具合だった。
複雑化した(とはいえ今のところそれほど致命的事態は生じていない)寒さシステムはともかく、全プレイヤー間で共有される構築物システム(未プレイだがDeath Strandingのパクり?)、列車という移動可能な拠点、そして最も意味がわからないのがTPSの導入だ!まさか原神で銃器が登場するとは思わなかった。

原神はかねてから(どうやってゲームエンジンに組み込んだのか意味不明な)メカニクスを導入しがちだったが、ここまでくると狂気の沙汰である。マジでどうやったんだ。
グライアイの眼については、かなり思うところがある。原神は元々明らかにBotWのパクりとして始まっていた。そしてバージョンを重ねるごとに、いかにBotWとは異なる体験を提供するかという点を意識していたように思う。
しかしグライアイの眼と真氷創造物――要はアイスメーカー――は、思いっきりBotW的ゲームシステムの再導入だ!実際、チュートリアルの時点から、氷のブロックを地面から生やして門をこじ開ける、BotWと全く同じ謎解きが出てきた。
開発者の自信を感じずにはいられなかった。原神はもはやBotWのパクリではなく、確固たるアイデンティティを確立した。それ故、自信を持って、再びBotW的な要素を導入できたのだろう。
技術水準について…
スネージナヤの技術ツリーはずいぶん進んでいるようだ。魔法的なエクスキューズ無しに、20世紀初頭くらいの技術を実用化している。
例えば冒険者協会から貰った通信機は巨大なクリスタルが乗った電話機であり、そこから聞こえるキャサリンの声はガッツリ周波数帯域が削られている。有限な帯域幅を有効に利用する必要があるくらい、通信機が広く普及しているのだろう。実際、北国銀行の従業員たちは皆通信機を持っていた。
列車の中には、レコードから再生されたようなノイズ混じりの歌が流れている。やはり、スネージナヤでは魔法なしの信号伝送技術が確立されているようだ。

「淑女」とオデットについて…
週ボスで何度も倒していたので感覚が麻痺してしまっていたが、旅人は(間接的に、とはいえ)「淑女」を殺してしまっている。スネージナヤに来た以上、それと向き合わざるを得ない。
この点は、淑女の弟子であるオデットさんの登場で上手く回収された。気まずい雰囲気を経てオデットさんに認められることで、罪悪感を和らげることができた。
「淑女」とオデットさんの間の確執、そしてその和解は興味深い。彼女がオデットさんに渡した「燃珀」は監視デバイスなどではなく、ファデュイに入隊せざるを得なかった過去の、そして淑女自身の記憶を燃やすためのものだった。オデットさんは、淑女の意図をようやく理解したうえで、そのデバイスを破壊した。つまり、ファデュイに入隊せざるを得なかった過去も、淑女自身の記憶も、無かったことにはしなかったのだ。
ここにもやはり、(私が個人的に確かに存在すると信じている)原神のテーマである運命愛が現れている。そして、良質な物語は、序盤でそれが何の物語なのかを提示するものだ。スネージナヤ編全体を通して、運命愛の概念には注視していく必要があるだろう。
寒さについて…
もはや原神とは関係ないのだが、昔からの疑問として、なぜ旅の果てには寒さが広がっているのか、という問題がある。単純な危険性でいえば、暑さも寒さと同じくらい致命的だ。しかし、終点が火山であるようなケースと、終点が極寒の地であるケースとでは、物語的な印象が大きく異なる。
Aquiloの体験を踏まえると、その現時点での回答は以下のようなものになるかもしれない。
まず、熱による死には苦痛の恐怖があるが、熱の不存在による死には孤独の恐怖がある。そして人類の歴史の中で、暑さを避ける技術が登場したのはごく最近だが、寒さを避ける技術はそれよりもはるかに早くから存在していた。何か本能的に、大自然の究極の脅威とは寒さであり、人間はそれに対抗するために集団を作り、技術を発展させなければならない、という思考のフレームワークが用意されている気がする。
だからこそ、Aquiloはこれまでの全ての惑星の技術が求められる、不毛と極寒の地である必要があったのだ!
コロレフスキー劇場での人狼ゲーム
第2幕。
謎の吹雪により劇場内に閉じ込められた!毎晩誰かが死んでいく。一日の犠牲者の数は、生存者に紛れ込んでいる死者の数に等しいようだ。死者を見つけて吹雪へ追放せよ!
予感について…
劇場といえばエピクレシス歌劇場だし、プレビュー公演の終了を記念して撮影された集合写真は色合いからして不穏だ。記念写真としては明らかに大失敗であり、何か不吉な予感を抱かせる。
例によって一本道シナリオではあったものの、そこそこのサスペンスと謎を提供してくれた。NPCはともかく、プレイアブル(になるはずの)キャラクターが死んでしまったときは流石にビビった。
色々あって残り5人となったところで、潜伏ロノヴァさんがついに3DモデルでCO。2人を死の権能によって即死させ、残った2人との肉弾戦に突入。キャラデザも声も素敵だが、これからの悪事を考えると、それほどまでに魅力を詰め込まなければただのクソ野郎になってしまっただろう。
個人的には、ここはもう少しプレイヤーに複雑な謎を解かせてほしかった。一番難しかったのは各日の襲撃と追放履歴を思い出すことくらいで、せっかくの舞台なのに推理的な要素が十分に活かされていなかった感がある。でも演出は良かった。

死の執政ロノヴァとの決戦
第3、4幕。
氷の女皇の目的は、7つの神の心を集めて天理をひっくり返すことだった!しかし科学技術が発展しようとすると、その場の全員が(一時的に)死ぬ呪いが課せられている。劇場での人狼劇も、科学者ミティヤ氏が観劇中にアイデアをひらめいたことが原因だった。
天理をひっくり返すには、まずロノヴァを排除せねばならない。
パイモンについて…
パイモンは天空の島の創造物であり、500年前に「道化」がカーンルイアの技術で地上へ釣り上げた存在だった!しかしその権能や記憶は残されていない。パイモンの体調不良は、スネージナヤの新エネルギー研究によるものだったが、「道化」が治療を施したことで回復した。
問題は、ロノヴァがパイモンを回収しようとしたことである!旅人はブチギれ、私もブチギれた。ファデュイと協力し、奴を排除せねばならない!!!
覚悟はできていたが、シナリオはついに、パイモンの正体という禁忌にまで触れだした。原神という物語が終わりに向かっていることを強く感じさせる。

赤文字について…
知る限り原神で初の、メッセージ内での赤文字の使用が発生した。
もうずっと昔から、スネージナヤは断罪の釘によって、いつ滅ぼされてもおかしくない国なの。
どう考えても何かの予兆である。赤文字といえば、「うみねこのなく頃に」を思い出さざるを得ない。というか、密室連続殺人の話の直後に持ってくるあたり、それを思い出してもらうための意図的な演出と考えるべきだろう。

ところでスネージナヤの神であり氷の女皇であるアナスターシャは、地脈に依存しない降臨者由来の世界外部WORMストレージに記録を残すことで、歴史の改ざんへの対抗手段としているらしい。上記の赤き真実は近い内に書き換えられることになりそうだ。
決戦について…
問題はヤツをどう排除するかという点だが、妙にDevOps的納得感のある作戦で面白かった。
死の呪いが一時的なものであるのは、死の権能の濫用を防ぐための天空の島のモニタリングが定期実行されているからだ。濫用すれば死の権能が剥奪されてしまうが、次のcron実行までに生の執政レインドットの権能で生き返らせてもらうことで、監査を回避している。
旅人その他がヤツと対決して全員が死んでいる間、アナスターシャはプーチンも納得のクソデカテーブルでレインドットとお茶会を開いていた。
世界樹を焼き尽くした際に焼失した炎の神の心を除く6つの神の心を使い、勘付かれることなくプーチンデスク周辺の時間を凍結させることで、レインドットによる復元バッチ処理の実行を遅らせた。これによって死の権能の濫用は天空の島に検出され、ロノヴァの権能は剥奪されることとなった。
ロノヴァとの思想バトルについて…
ここからが本題だ。これまでの設定と流れは、決戦における旅人のロノヴァに対する挑発に、極めて深い意味を与えている。
ロノヴァ:わたしがきみなら、自分が迎えるかもしれない結末をよく想像して、慎重に生きるか、あるいはここから立ち去ることを選ぶだろう。
旅人:私があなたなら、そんな風に生きる価値があるのか、よく考えると思うな。
旅人:一見すると高いところから人々の運命を左右して、数多くの規則を司ってるように見えるけど…
旅人:実際は、あなたを縛るルールのほうが遥かに多い。やりたいこともできないなんてね。
まず、旅人はロノヴァに実存的な問いを叩きつけた。実際それは正しい!現に、彼女は強大な力を持っているにも関わらず、全く自由ではない。上述の通り、旅人や他の人々よりもよっぽど多くの天理が課したプログラムに縛られている。
ロノヴァ:スネージナヤという文明は、はるか昔から命を絶たれかけていた。今やきみも紛うことなき共犯だ…わたしがきみを庇うことはない。
旅人:なんだ、今すぐどうこう出来るわけじゃないんだ?
旅人:同じ天空の島の創造物でも、あなたよりパイモンのほうがずっと立派だね。
旅人:あなたはパイモンには力も権能もないと言って…まるで「物」を回収するみたいに、あの子を回収しようとしたけど――
旅人:パイモンはこれまで、大勢の人々に見守られながら、私たちの旅を導いてくれた。そして、それはいつの間にか多くの人の運命に影響を与えてきたの。
旅人:これは人と人――命を持つ者同士の間にしか存在しない絆。パイモンも、自分の運命を紡いできたんだよ。
旅人:物や道具というなら…それはあなたのことじゃないの?
旅人:あなたは自分自身の自由すら手にしたことがないのに、天理が人を拘束するための枷として使われてる。
ロノヴァ:……
旅人:(ちょっと言い過ぎたかな…ただの足止めのつもりが、パイモンのことを考えたらつい…)
流石に言いすぎだ!しかしよく言った!!!
言葉の表面を辿っても十分アツい言葉ではあるが、そもそもパイモンが持つ象徴的意味を考えなければならないだろう。怪文書を始めよう。
怪文書
まずはアンガーマネジメントを行わなければならない。なぜ旅人と私はブチギレたのか?単に仲間を奪われそうになっただけでは、そこまでの怒りは覚えられない。パイモンそれ自体のみならず、パイモンが象徴するものを侵害されそうになったから、私は激怒したのだ!!
上手い言葉がまだ見つけられていないものの、私が思うに、パイモンが象徴するものとは、一義的にはボグラーの言うところの<冒険への誘い>である。
このことは形式的には、パイモンが「海から釣り上げられた」ことによって示されている。
水場で,ちょっとしたパニックとともに,かばんは前者のタイプの守護者に出会う.カバは守護者であると同時に使者でもあるという 2 つの側面を持っている.
キャンベルは召命を届ける使者を,「無意識の底」,あるいは底の見えない水のようなものだと説明する.それはまさに,カバが水の中から現れたのと同様である.
(Kemonomyth)
パイモンとは、文字通り底の見えない水から現れた存在だった。
更に言えば、パイモンとは、「世界は本質的に面白いものである」という信念であり、原神というゲームが持つ最大の主張を象徴したものだ…と思っている。
キャンベルは「千の顔を持つ英雄」のプロローグで以下のように語っている。
無意識は、夢の中でも昼日中でも、狂気のうちにあっても、ありとあらゆる妄想、奇妙な生き物、恐怖、幻覚などを心にもたらす。
無意識の世界には宝石もあれば、危険な魔物も住んでいる。人は普段そのことを無視している。 しかし、ふとしたきっかけで危険な使者が頭の中に現れることがある。 この使者は自分や家族を含む安全な枠組みを脅かす危険な存在である一方で、たいへんな魅力の持ち主でもある。
怖くもあるが望んでもいる自己の探究という、冒険の世界全体を開ける鍵を持ってくるのである。 自らが築き上げ暮らしている世界の破壊、その一部となっている自己の破壊。 しかし破壊のあとには見事な再建があり、より大胆で汚れのない、より高邁で完全に人間らしい生き方が待っている。 これは煩わしい夜の訪問者がもたらす誘惑であり、明るい未来であり、恐怖である。そして夜の訪問者は私たちが内に抱く神話の世界からやってくるのである。 (P24)
ボグラーは同じことをもう少しわかりやすく語ってくれている。
冒険の冒頭、<英雄>は「なんとかやっている」状態であることが多い。 さまざまな防御策を講じ、物事に対処しながら、アンバランスな生活をやりくりしている。 そこへ、新しい力が一挙に物語に流れ込み、ついにどうにも立ち行かなくなる。 新たな人物、状況、情報により、<英雄>のバランスが変動し、すべてがいままでとはちがうものになってしまう。 決断をくだし、行動を起こし、争いに直面しなければならない。こうして<冒険への誘い>が、<使者>のアーキタイプとして現れた人物によって運ばれてくる。 P92
これらは、キャンベルの「英雄の旅」、ボグラーの<ヒーローズ・ジャーニー>を理解する上で核となる概念だ。
そして、本作における<冒険への誘い>は、まさにこの形で現れていることがわかるだろう。 リリスは文字通り「無意識の底から現れる危険な使者」であり、召命を与える<使者>としてこれ以上無く適切なキャラクターである。
(以前に書いたまちカドまぞく副読本からの抜粋)
では、「旅人はどんなアンバランスな生活をやりくり」していたのか?実はこの質問は正しくない。問うべきは、「プレイヤーはどんなアンバランスな生活をやりくり」していたのか、である。
少なくとも私にとってそれは、「世界は本質的に面白いものである」という信念の欠けた生活である。
個人が世界と接するという行為は、言ってみれば無数のイベントからガチャを引くことに相当する。それらのイベントには、良いものもあれば悪いものもある。しかし、そのガチャを引けば引くほど、サンプルの平均値は世界全体の平均値へ収束する。問題は、世界全体の平均値の符号だ。
消極的に言えば、符号が正でなければ、今生きていることの説明がつかない。世界の平均値が負であると信じるならば、一切抽選に挑むべきではないからだ。対偶を取れば、抽選に挑んでいる以上、私は世界の平均値が正であると考えていることになる。
「生きるということは、悩むことにほかなりません」──と、ほかの連中が説いている。たしかに噓ではない。だったら、そんなことを説いている君たちが、人生をやめてみたらどうだ! 生きることが、悩むことにほかならないなら、生きることをやめてみたらどうだ!
(ツァラトゥストラ 上 「死を説く者について」)
積極的に言えば、私は今、世界の平均値は案外プラスなのかもしれないと思っている。というよりも、全ての体験がプラスとして計算するべきものなのかもしれない。あるいは、そもそもそんな計算をするべきではないのかもしれない。そしてこれは、原神が――つまりパイモンが教えてくれたことだった。
この世界には美味しい料理がたくさんあり、知り合うべき友人、開けるべき宝箱が無数に存在する。無口で行くあてのない旅人を連れ回してくれたのは、最高のガイドであるパイモンだ。
第2幕で旅人が語るように:
旅人:初めは、この世界の出来事に対して、自分はただの「傍観者」でしかないって思ってた。たぶん、私が「降臨者」だからかな。
トーニャ:「降臨者」?
旅人:でも、パイモンがそばにいてくれたおかげで、だんだんとこの世界との繋がりが深まっていくのを感じたの。
旅人:パイモンは、食いしん坊で寝ぼすけで遊びたがりだけど、最高のガイドでもある。パイモンのそんな「リアル」な姿が、私にこの世界が「現実」なんだって教えてくれた。
旅人:ここ数日、つい無意識に考えちゃうの。「もしパイモンがいたら、こんな時なんて言うんだろう?」って。
旅人:そしてそんな想像から戻ってくると、会話は先に進んでる。私だけが、自分の世界に取り残されてるの。
旅人:この孤独感を乗り越えようとはしてるけど…それでも、やっぱりパイモンに会いたい。私にとってパイモンは、ある意味「この世界」そのものだから。
要は、彼女のしようとしたことは、旅人にとっては世界そのものの否定である。どうして怒らずにいられようか!!
それ故に、
旅人:私があなたなら、そんな風に生きる価値があるのか、よく考えると思うな。
という言葉はロノヴァを激怒させるに足る力を持っている。確かに、そのような信念のない生に、生きる価値があるとは思えないからだ。
彼女は人が生にしがみつくことは知っていたが、その理由を理解していなかった。天理の枷に縛られた彼女には、そもそも運命を紡ぐことができない。なぜ彼女がパイモンよりも道具的であるかといえば、それはこの点に由来する。
ところで、死の権能に対抗する手段として挙げられていたのが生命力だった。そして生命力とは、良い思い出として抽出できるものらしい。旅人がいち早く蘇生しレスバを仕掛けることが出来たのは、これまでの旅の思い出を死後の世界で辿ったからだった。
このことは、音楽的には各地域のモチーフによって演奏され、メカニクス的には、各地域の固有のフィールドギミックを利用して進むことで演出されていた。こうして振り返ると、モンドの上昇気流からナド・クライの月霊の道まで、どのギミックも地点間を移動するためのものだったのが興味深い。
いよいよもってラスボス戦の様相を呈している。

第5幕へ続く
改良された邪眼を使う道化の活躍(一撃7桁ダメージ、CT15秒)により、ロノヴァを排除した。死の呪いは停止し、スネージナヤは天理転覆に向けた研究を進めることが可能になった。
一方ロノヴァは死に際(?)に、天空の世界で謎のデバイスを起動。直後に6連続で発生する新任務!テイワット各地の「断罪の釘」に異変が起きた!空高く浮かぶ十字架状の光!
追いついたことで、ついにネタバレを恐れることなく公式PVの閲覧が可能になった。
どうやら、管理可能な新文明のための「聖土化」なるプロセスが始動したらしい。42日か30日でテイワットは原初の光界の力へ還元されてしまう。そこに集う7柱の魔神たち!
…ということになるらしい。いよいよ原神の物語全体が終局に近づいてきた。
究極のテーマについて…
色々あって、最近新たな難題を抱えることになった。個人に運命を変える力はあるのだろうか?
私は、今のところあまりそうは思っていない。世界には変えられないルールや大きな流れのようなものがある。私にできることは、事象に対する捉え方を変えることだけだ。
Even if we can’t change the overall story, we can let the Traveler speak for us in that single moment, expressing what we feel. What does this mean?
(1年前に作ったビデオエッセイ)
この発想が正しいものなのかどうか、考える余地があるように思えてきた。
まず、個人に運命を変える力は無いと言ったとき、そこには大きな矛盾が存在する。物事の捉え方を変えることには、明らかに将来に影響を与える力が含まれている。
そうして変更された将来こそが運命なのだ、というのもまた一つの見方だが、そこまでいくと究極の決定論にたどり着いてしまう。そこには、捉え方の自由すらない。それは天空の島の発想である。そのような世界観は否定したい。
そうなると、先の発想は誤りだったと考えるしかない。
一方で、個人には運命を変える力がある、という発想もまた、何か危険な響きを含むように思う。
第一に、それは過去の失敗に対する反省を要求してくる。お前には結末を変える力があったのに、失敗を成功に変えられなかったのだ!という非難は、失敗した人に向ける言葉としては適切ではないだろう。
第二に、それは世界に対するGND浮きを生じる。運命や世界を操作可能だと考えることは、冒涜の第一歩である。この危険は、3つの月の力を集めて自らが神になろうとしたドットーレの件で把握したとおりだ。
旅人の旅にあって、博士の実験に欠如しているのはこの点である。彼は世界との関わり方を「実験」としてのみ認識し、人間との関わり方を「相互利益」としてのみ認識している。
彼は大地を、すなわちテイワットやそこに住む人々を軽蔑しているのだ!そしてそれは、ツァラトゥストラの言う超人への道からは逸脱するものである。
世界を軽蔑することなく、世界を変えることは可能なのだろうか?
興味深いことに、前述の2つの態度は、ニーチェの言うところのラクダのステージ、獅子のステージと対応しているように思える。であれば、この問題を解決できるのは赤子のステージなのかもしれない。
どんな悲劇や不条理があろうとも、この大地と生は遊び尽くす価値がある。
そのような信念――これは「運命愛」と等価だと言ってよいのかもしれない――を持ち、正しく楽しんでいれば、そして楽しんでいる場合にのみ、世界は私に応えてくれるのかもしれない。
旅人:パイモンはこれまで、大勢の人々に見守られながら、私たちの旅を導いてくれた。そして、それはいつの間にか多くの人の運命に影響を与えてきたの。
スネージナヤ編、あるいは原神が最終的に示してくれるのは、この問題に対する回答なのではないかと期待している。
ロノヴァさんについて…
ボロクソ言っちゃったけど、それだけ魅力的な悪役だったということです!
プレイアブルになってほしいし、そういう声が実際多そう。単にキャラデザや声の良さのみならず、旅人がチクチク攻撃したロノヴァさんの悲劇性のようなものを多くの人が感じ取っているからなのだろう。
一部の情報は古くなっている可能性があります



