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2026年3月4日、某所。あるお店で、マクラーレンとのコラボが開催されていた。いくつかの興味深い展示があったが、その中で私は特に、レースシムに惹かれた。
この時点では、恐ろしいものに片足を突っ込んでいることには気づいていなかった。ここから、私とレースシムの怒涛の2週間が始まった。
(BGM: We’re Finally Landing - Home)
ルール
このイベントのルールは以下の通り。
ハンドル、ペダル、振動するシートが一体となった本格的なレースシミュレーターで、ゲーム F1 25 の鈴鹿サーキットのラップタイムを競う。
個人ごとのクリーンラップ(つまり、ショートカット等によるペナルティを受けていない状態)のベストタイムはランキングに記録される。
毎週日曜日の20時に集計され、その時点で店内最高記録を持っていれば、マクラーレンの景品が貰える。複数回景品を得ることはできない。
集計タイミングは3/8、3/15、3/22の3回。
挑戦回数は(他に利用したい客がいない限り)無制限。最初期は1人1週間に2ラップまでだったが、挑戦する人が思ったより少なかったからか、即座に無制限へと変更された。
レースシムは某所に3週間設置されており、営業時間内であればいつでも無料で挑戦可能。
第1週
自分はレースゲームといえばマリオカートとカービィのエアライドくらいしかやったことがない。そしてF1にはほとんど興味がない。
3/4 (第1週水曜日)に偶然このイベントを知り、初走行。記録は1:46程度。トップ記録は1:34程度。この時点では1週間に2ラップまでの挑戦制限があった。

第1週土曜日
土曜日に再び訪れると、トップ記録は1:31.686に更新されていた。
どう考えても、このゲームは経験者が有利だ。1位の記録保持者は自宅に同様のコントローラを持っているらしい。たった4ラップしか走っていない自分がそれを上回れるはずがない。
と思ったら、ここでルール変更が明かされた。他にやりたい人がいない限り、挑戦回数は無制限になったのだ。
こうなると話は全く変わってくる。もしかしたら、めちゃくちゃやり込めば、1位を取ることは不可能ではないかもしれない。
この日、自分は5ラップほどしたと思う。結果は1:36.331。6位であり、トップからは4.7秒も遅い。
しかし、1日で10秒も縮めることができたのだ。あと4.7秒縮めればいい。これはいけるかもしれない。
一方で、不穏な話を聞いた。トップ記録保持者が、同じく自宅にレースシム環境がある友人を誘って来ているらしい。
これは非常にマズい。この企画が広く知れ渡り、プロが続々やってくるような事態になれば、彼らに勝つのは絶望的だろう。
それを回避するには、できるだけ早く、可能であれば今週中に勝ち逃げするしかない。
第1週日曜日
最初の集計日がやってきた。1:26台の世界記録の動画を見たり、ライン取りについて学んだりしたうえで店に赴くと、トップ記録は1:31.686から変化無し。
他にお客さんはおらず、閉店まで90分間ほとんど自由に走行することができた。むしろ限界は自分の体力にあった。途中で休憩を挟みつつ、40ラップくらいは走っただろうか。
最高記録は1:32.090。
- S1: 33.502
- S2: 41.522
- S3: 18.259
1位には0.4秒届かなかった。しかも、前のラップのシケインでショートカットの判定を食らっているため、正当なタイムではない。最終結果に影響はないから、とお情けでランキングに乗せてくれたものだ。
正当なベストラップは1:33.471だった。1位との差は1.8秒。
- S1: 34.079
- S2: 41.132
- S3: 18.259
悔しい。一方で、1位を取ることは全く不可能というわけでもなさそうだ。
第2週
私は、この挑戦を個人的に受け止めることにした。
第2週水曜日
30分のセッション。最高記録は1:34.052。ランキング1位は1:31.569。
第2週木曜日
仕事を休み、13時から挑戦開始。2時間後、以下の記録を獲得した。
1:30.988
- S1: 33.014
- S2: 40.107
- S3: 17.865

ついに1位の座を奪取した!そして、この企画初の1:30台。このまま行けば勝利が確定する。
なおこの日は夜にももう一度訪れたが、このタイムを更新することはできなかった。
第2週金曜日
14時に来店したところ、昨日達成した輝かしい記録は、1:30.937に更新されていた。たった0.051秒の更新だ。こんなことが許されてはならない。
挑戦開始。4時間後、以下の記録を獲得した。
1:30.921
- S1: 32.930
- S2: 40.115
- S3: 17.874
2位に0.016秒差をつけて首位奪還。しかし、まだ油断はできない。明日は土曜日。そして日曜日には集計がある。逃げ切りを狙うにはあまりにも弱い記録だ。
そこで、引き続き挑戦した。90分後、1:30.284を記録!!!
(セクション別タイムは記録忘れ。)
自己ベストを0.64秒更新。
流石にこれは勝ったと言って良いだろう。0.051秒差で抜かしてきたライバルを、今度は10倍以上の0.64秒差で抜き返したのだ。翌日来店したとしても、心が折れて挑戦してこないだろう。
補足
ところで、このゲームは肉体への負荷がすごい。ハンドルへのフィードバックがあるため、腕がかなり疲れる。
また、シートは硬いプラスチック製であり、座席への振動もかなりある。ずっと続けていると腰が痛くなってくる。腕と足の筋肉痛も合わせて、満身創痍だ。
そして言うまでもなく、精神への負荷もすごい。100分の1秒を削るために、何十周も走る。途中までどれだけ上手く行っていようとも、最後のシケインでミスをすれば全てが台無しになる。
この1年間で経験したことのないような強烈なアドレナリンが、私の全身を駆け巡っていた。実際、4時間の挑戦を経て記録を奪還した後には、10分くらい指の震えが止まらなかった。
第2週土曜日
この日も挑戦しに行ったが、ランキングには変化無し。自分は1:30.284で首位をキープ。ランキング状況も変化無し。
このタイムは企画のために派遣されて来た英語話者のスタッフよりも0.2秒速いタイムらしい。テクニックやコツについて多くのことを(英語で)教えてもらったが、ついに師匠を超えることができたのだ。
あまりにも美しい結末ではないか。ライバルを超え、師匠を超えることができた。もう物語として十分だ。終わってくれ。もう誰も更新しないでくれ。もう腕も脚も腰も限界だ。
……と思ったら、自分が居た60分の間に、師匠は1:30.160を出した。スタッフなのでランキングには影響を与えないものの、美しい結末とは言い難い。
師匠は、「君に挑戦する理由を与えるためだ」みたいなカッコいいことを言っていた。自分も早速挑戦したが、この日のベストは1:30.547止まりだった。
なおこの日、店舗には現時点のランキングトップ3が一堂に会していた。
自分の速さの秘訣を見せないようにしようと企んでいたが、何だかんだでいざシートに座ると、最善を尽くさずにはいられなかった。
和気あいあいとした、しかしどこか不気味な静けさである。
第2週日曜日
ついに集計日がやってきた。この日を乗り切れば、私は正式にこのイベントの勝者となる。
ランキング上はトップだったが、私には師匠を超えるという目標が残っている。それに、1位を他の誰かに奪取される可能性もゼロではない。
そこで、私は万全の体制を整えて最終日に臨むことにした。
このときちょうど、アニメ『アカギ』が期間限定で無料公開されており、自分はそれを視聴していた。鷲巣麻雀に挑むアカギが栄養ドリンクをがぶ飲みしたように、自分も生化学的なアプローチを取ることにした。
まず、普段なら1日かけて飲み切るコーヒー400mlを、昼に一度に飲んでカフェインを摂取。加えて、160mgのカフェインが含まれるエナジードリンクを挑戦30分前に摂取。合計で350mg程度のカフェインを摂取したことになる。
これに加えて、セージを喫煙。セージには記憶力を高める効果があるらしく、その効果を期待しての行動だ。
そして最後に、店の近くの無印良品でローズマリーのエッセンシャルオイルのサンプルを思いっきり嗅いだ。ローズマリーには、集中力と記憶力を高める効果があるらしい。普通にとても良い香りだったので、結局1瓶購入した。
第2週 最後の4時間
16時に来店し、私は絶望した。自分の1:30.284という記録は、1:30.277によって抜かされていた。0.007秒差。
スタッフの話によると、そのライバルは昼頃に彗星のように現れてサラッと更新したそうだ。元ランキング2位の友人で、もちろんレースシム環境持ち。
極めてマズい状況だ。数字上では、単に私は金曜日とほぼ同じ、それでいてほんの僅かに良い走りさえできれば、1位を奪還できる。しかし言うは易く行うは難しだ。4時間かけて達成した記録を再現できるとは、正直思えなかった。
この日、私は友人を立会人として連れてきていた。彼は私の挑戦を応援しているというよりは、私の熱中ぶりにドン引きしている様子だった。
残り1時間
忘れられない会話がある。挑戦開始から3時間が経過した頃、彼は私に、「執着するのは良くない」と指摘した。
ほぼ毎日、数時間単位で鈴鹿サーキットを数百周も走り、仕事すらサボっているいい大人に対して、あまりに妥当な指摘である。
私は怒りと共に、「人生のサブクエストに本気になれないやつは何をやっても駄目だ」と答えた。
そうだ!これは人生のサブクエストなのだ。
振り返ってみると、これはすごく原神みのあるイベントだ。期間限定のイベントがあり、その中にミニゲームがあり、その成績に応じて報酬が貰える。
私は旅人になりたい。そして旅人とは、自身の持つ可能性を開花させようと努力する者だと以前に定義した。カント的に言えば、人間は理性的存在として、自らの持つ可能性を開花させる義務を負っている。
A human being has a duty to himself to cultivate his natural powers (powers of the spirit, mind, and body), as a means to all sorts of possible ends. He owes it to himself (as a rational being) not to leave idle and, as it were, rusting away the natural predispositions and capacities that his reason can some day use.
それ故、「人生のサブクエストに本気になれないやつは何をやっても駄目」なのだ。「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言い換えてもいいのかもしれない。
なんとなく始めたこの挑戦は、いつの間にか意地をかけた聖戦へと昇華していた。
もはや特典は目的ではない。自身が理性的存在であり、旅人であり、これらの信念が正しいことを証明するための戦いだった。
残り30分
客がほとんどいなくなり、筐体が空いた。私は最後の挑戦に向かった。
(BGM: En aften ved svanefossen - Henrik Bålerud Haugen)
第1コーナーには、かなり奥まで突っ込んでからブレーキをかける。アクセルを踏みつつ、限界までステアリングして外側の縁石を踏む程度の速度にする。
S字カーブは、アクセルワークのみで全ての縁石を踏みつつ駆け抜ける。この時、ハンドルを過剰に切ると、アシスト機能によってアクセルが強制的に遮断される。丁寧な操作を心がける。
S字最後の右カーブでは、侵入直前に短くブレーキをかけて減速することで、内側の縁石ギリギリを攻める。
デグナーカーブ1つ目の右コーナーは、アクセル全開のまま駆け抜ける。50m標識のあたりで右に舵を切り、右輪がわずかに縁石を踏むように侵入すれば、ギリギリ安定を保ったまま脱出できる。
脱出後、安心せずにすぐにもう一度右へ舵を切り、減速しながら第二コーナーを脱出する。Apexを超えたら即座にアクセルを踏み込む。
ヘアピンでは、右の縁石を通過した直後に減速を開始し、思いっきり左へ舵を切る。概ね方向転換が完了したら、アクセルを踏み込んでゆっくりと舵を戻す。
スプーンカーブでは、1つ目の左コーナー侵入直前に一瞬ブレーキを掛け、左輪だけがコースに残るくらいまで大きく膨らむ。ハンドルを一瞬正面へ戻し、ブレーキを20%程度かけながら、再び左へ舵を切る。できるだけ速度を稼いで脱出し、1つ目のアーチ通過時の速度が285km/hを超えることを目標とする。
その後シケインまではアクセルを抜かない。シケインでは、50m標識直前でフルブレーキ。1拍置いて右に舵を切り、ポールを倒さないギリギリを通過する。少し過剰に右に寄せることで、その後の左カーブを安定して、かつ速度を乗せて脱出できる。
その後は縁石を踏まないようにしつつ、右端を走ってゴールラインを切る。
この日4度目のセッション開始から11ラップ目、集計まで残り13分というところで、私はこのランを得た。
1:30.020
- S1: 32.763
- S2: 39.823
- S3: 17.433

1位に0.25秒差を付けて、ついに1位を奪還!他には挑戦者は現れないまま、10分後、ついに集計時間が来た。
スタッフがランキングボードを更新し、私は第2週の勝者となった。
第3週
わりと文字通り、神経が焼ききれてしまったのだろう。月曜日はまともに起床できず、火曜日も合わせて仕事を休むことにした。体調を崩した、という言い訳だったが、あながち嘘ではない。
月曜日は完全な行動不能に陥っていた。火曜日にようやく回復し、店に行ったところ、挑戦者がいた。1:29.771を出していた。ついに戦いはsub-1:30の領域へと突入したのだ。
ランキング1位に登録された名前を見て、その人が、第2週に私が打倒したライバルであったことを知った。手袋を持参しているあたり、完全にガチ勢だった。
第2週で勝ったとはいえ、このままでは完全な勝利とは言い難い。少なくとも、1:30.000を切るくらいはしたいところだが、今のところどうやったら改善できるか全く掴めていない。
このイベントはあと数日で終わる。筐体が撤去されるまでの間、体調を崩さない程度に、ぼちぼち頑張ろうと思う。
まとめ
F1のルールを何も知らなかったレースゲーム初心者が10日間で鈴鹿サーキット1:30台を出すというのは、なかなかすごいことなんじゃないだろうか。
とはいえ、たかがゲームのタイムアタック。傍から見れば、いい大人が平日の昼間から仕事をサボり、エナジードリンクを胃に流し込みながらローズマリーの香りを頼りにハンドルを握る姿は、滑稽ですらある。
しかし、この2週間で私は確信した。人生のサブクエストには本気で取り組むべきだ。限界まで腕を使い、腰を痛め、神経が焼き切れるほどの集中の先にしか見えない景色が確かに存在していた。
正直、もし勝利することができていなかったとしても、ある程度の満足感は得られていたと思う。もはや焦点は、勝利して特典を得ることではなく、自己ベストを更新すること、そして1:30.000を切ることに移っていたからだ。要は、自分との戦いだった。
それに、競争することの面白さに気づけたのも良かった。私は基本的に誰かと競争することがあまり好きではない。その点、ランキングボードを通した間接的な競争はとても良かった。
数十年前にゲームセンターでスコアやタイムを競い合っていた人たちも、こんな気持ちだったのだろうか。自分は懐古趣味に走りがちなので、店舗ランキング1位を競い合うという、全く同じ体験ができたのは嬉しかった。相手を恨むことなく、むしろライバルが居たからこそ、ここまで頑張れたのだ!と感謝の気持ちすら抱かせてくれた。あれって綺麗事じゃ無かったんだ。
1:30.020という数字は、単なる記録ではない。それは私が、ただの観客ではなく、旅人であろうともがいた証だ……と言えるのかもしれない。私はこの数字をしばらく忘れないだろうし、鈴鹿サーキットのレイアウトは一生忘れないだろう。
今はかなりF1に興味を持っている。もしリアルタイムで視聴することがあれば、そのときは絶対にマクラーレンを応援しようと思う。

一部の情報は古くなっている可能性があります



