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3847 字
19 分
原神イベント「風を捕まえる帰郷者」の感想
目次

原神の期間限定イベント「風を捕まえる帰郷者」をプレイしました。

めちゃくちゃ良かったので、その感想を書いておきます。

注意。私はナド・クライに辿り着いていません。原神のプレイ歴は1.5年ほどであり、それ以前のイベントについてもよく知りません。

どんなイベントだったか#

超端的に言えば、このイベントは明らかに、原神のメインクエスト全体の<焚き火>のシーンだった。

クリストファーボグラーは「ライターズジャーニー」の中で<最大の苦難>に備える<最も危険な場所への接近>のステージの中で、焚き火のシーンが描かれることが多いと述べている。

(はず。以下、手元に本がないので記憶を頼りに書いている。)

<最も危険な場所への接近>で、英雄は最終決戦へ向かう前の最後の休息と、再編成を行うことになる。けものフレンズで言えば11話中盤、夕方に行われる作戦会議がそれだ。

このイベントには、まさにそれらの要素が詰まっていた。

イベントの始まり#

まずイベント名がエモい。「風を捕まえる帰郷者」は明らかに、メインクエストである魔神任務序章第1幕「風を捕まえる異邦人」のパロディである。そして、イベントの開始地点はゲーム開始地点の砂浜。

よく見たら「異邦人」のままになってないか?
よく見たら「異邦人」のままになってないか?

初めてこのゲームに触れたときと同様に、パイモンと懐かしさを感じながら砂浜を歩き、最初の七天神像を目指す。

モンドが舞台となるイベントというだけでも嬉しいが、この演出はただ事ではない。

どうやら旅人はナド・クライでまた何か英雄的なことを成し遂げたようだ。そして、モンドから遠征に出ていた騎士達と、それを率いるファルカ団長がモンドに帰還してくるらしい。

彼らが不在にしている間の出来事を説明するために、序章で起きたことを魔法的なVRコンテンツとして再現しよう。しかしそこにアビスが忍び寄り……というのが、軸となるストーリーだ。

焚き火#

このイベント全体が、原神という大きな物語における<焚き火>のシーンだと言えるだろう。遠征騎士達の帰還を祝うために、モンド城内はお祭り気分だ。ストーリー自体、中盤までは極めて気楽なものだった。

しかし、このイベントの中の<焚き火>のシーンといえば、間違いなくそれはバルバトスの像の上で、旅人、ファルカ団長、そしてこのゲーム全体に方向性を与えた我らが風神バルバトスが一同に会する場面だろう。

眼下にモンドの友人たちのパーティーを眺めながら。
眼下にモンドの友人たちのパーティーを眺めながら。

そして、まさに方向性を与えたそのセリフが再演される。

Venti: I often think about our parting at Windrise, you know. And now, almost in the blink of an eye, the final stop on your journey is just around the corner…

Venti: Heh, the look in your eyes… It’s changed a lot since you first set off from Mondstadt.

Venti: But, my advice remains unchanged. Never forget that the journey itself has meaning, Traveler.

Venti: The birds of Teyvat, the songs and the cities, the Tsaritsa, her Fatui and the monsters… they are all part of that journey.

Venti: Perhaps earth-shaking truths and indescribable trials await you at the end… Just remember, there is more to life than that.

ウェンティ: 風立ちの地での別れを、よく思い出すんだ。そして今、瞬きする間に、君の旅の終着点はもうすぐそこまで来ているね……。

ウェンティ: ふふっ、その眼差し……モンドを最初に旅立った頃とは、ずいぶん変わったよ。

ウェンティ: でも、僕の助言は変わらない。旅人、旅そのものに意味があるということを、決して忘れないで。

ウェンティ: テイワットの鳥たち、歌や街、氷の女皇にファデュイ、そして魔物たち……そのすべてが旅の一部なんだ。

ウェンティ: もしかしたら最後には、天地を覆すような真実や、言葉に尽くせない試練が待っているかもしれない……。けれど、覚えておいて。人生には、それ以上に大切なものがあるってことを。

(Gemini訳)

もう明らかに、このゲームのストーリーは終盤に差し掛かっている。スネージナヤという<最大の苦難>に向かう直前の激励の言葉として、「終点は全てではない」というこのゲーム全体の方向性を再提示するというのは、あまりにも完璧な演出である。

バルバトスのこの言葉は、現実世界でのここ1年の私の座右の銘でもあった。

逆に言えば、私が座右の銘として指定した一連の言葉は、開発者が5年越しに語らせようとするくらいには、極めて重要なメッセージだったということになる。私はこのゲームを正しくプレイしている、という確信が得られたのが本当に嬉しかった。

アビスはエーリッヒ・フロム的な意味での「破壊衝動」を生み出す「生きられなかった生」である#

モンドに起こり得たかもしれないもう一つの結末(龍と自由の変奏)が描かれた後、このストーリーのエピローグ部で、とんでもないロア爆弾が投下された。

Alice: The essence of the Abyss lies in the hatred carried by all the fates that will not come to pass.

(略)

Alice: So then, the question at the heart of it all is this… Why must these fates be the ones to disappear?

Paimon: Ahh, Paimon gets it. It’s hatred that stems from not being chosen.

アリス:アビスの本質はね、決して訪れることのないあらゆる運命が背負った「憎悪」にあるのよ。

(略)

アリス:だから、すべての核心となる疑問はこれよ……「なぜ、消え去るのが彼らの運命でなければならなかったのか?」

パイモン:あーっ、オイラわかったぞ。つまり「選ばれなかった」ことへの憎しみってことだな。

(Gemini訳)

つまり、バーベロス(モナの師匠らしい)が提案し、アリス(まだストーリー上で会ったことがない)が同意するアビスの正体とは、世界にとっての「生きられなかった生」だということになる。

フロム的にいえば、それは「自由からの逃走」のメカニズムの一つ、「破壊衝動」を生み出す根源である。

破壊衝動とは、(自分の読書メモによれば)以下の通り。

「生きられなかった生」が腐敗して発生する衝動。

これについては、フロイトの理論を前提に置くとわかりやすい。フロイトは、人間の根本的な衝動をリビドー(生/性への衝動)とタナトス(死/破壊への衝動)の2つに分けた。

しかしフロムは、タナトスはあくまでも二次的なものであり、生物は生、成長、創造への衝動を持っていて、それが頓挫すると死への衝動へ転化すると考えた。

フロムは完璧に、アビスの正体を説明している。

アビスとは、天理や世界の法則によって「実現を妨げられ、抑圧された可能性の運命」の集合体である。彼らはまさに、世界レベルでの「生きられなかった生」そのものであり、フロムの理論通りに、実現した現実世界への強烈な破壊衝動を生み出しているのである。

バルバトスの真意#

アビスが「選ばれなかった生」が生む破壊衝動であるとすれば、バルバトスが再三「旅そのものの意味を忘れるな」と警告するのにも、フロム的に見て完璧な論理が成立する。

フロムは「自由からの逃走」で以下のように語っている。

これは、重要なのは活動そのものであり、結果ではなくプロセスであることを意味する。

彼が強迫的でも自動的でもなく自発的に生きることができるとき、疑念は消える。彼は自分自身を能動的で創造的な個人として認識し、人生にはただ一つの意味、すなわち生きる行為そのものがあるだけだと認識する。

(Gemini訳)

要は、バルバトスもフロムも同じことを言っているのだ。フロムの言う「生きる行為そのもの」とは、バルバトスの言う「旅そのもの」に他ならない。

「生きられなかった生」に対抗するには、「生きる行為そのもの」を肯定する必要がある。同様に、「アビス」に対抗するには、「旅そのもの」を肯定する必要がある。

それ故に、バルバトスの言葉は、このゲームにおける究極のおまじないとして機能する。原神が描いているのは、「積極的自由」によって「消極的自由」を乗り越える物語なのだ。

ユング的な観点で#

「生きられなかった生」というワードは、ユングも使っていた。ユング的には、「生きられなかった生」とはつまり「シャドウ」である。人生の目的は、自分のシャドウと向き合い、統合することである。これを「個性化」と呼ぶ。

以下は河合隼雄『無意識の構造』の読書メモ。

個性化の道を歩むには、我々は自分の内界に目を向けなければならない。しかしそれは、自分の感情や心境をひねくりまわすことではない。

我々の問題とする内界は、自我によってコントロールできないあちらの世界である。

無意識の真相における体験にもっともぴったりのものは、昔話や神話などにある他界の話であろう。それらには、他界の不思議さがいろいろと述べられ、そこにおける危険性も十分に語られている。時間、空間による定位が不能なこともそっくりである。他界へ旅立って帰れなかった人、他界から帰ってきたものの、この世には適応しがたくなっていた人の話もある。個性化の道は恐ろしい道である。

やはり、ジョーゼフ・キャンベルの「英雄の旅」をより一層理解できそうな考え方だ。英雄が赴く非日常の世界とは、本質的には英雄の内界と同じなのだろう。そこであらゆる原型に出会い、個性化の過程に成功して帰ってくることで、英雄は「生きる自由」を得る。

シャドウとの一体化、という意味では、ジョーゼフ・キャンベルもクリストファーボグラーも同じことを言っている。英雄の旅の究極的な目的は、自らのシャドウ(を象徴する何か)と一体化することである。

原神の物語は、兄妹の別離から始まった。プレイヤーが選ばなかった方の片割れは、文字通り「生きられなかった生」、すなわちアビスを代表する存在となった。

これらの考察を踏まえれば、旅の終点にあるものは、旅人が片割れを打倒するような結末ではなく、何らかの形での「統合」である可能性が高い。というか、そうなるべきである。それがどのような形になるかはわからないが。

結論#

私は既に、モンドの、そして原神の根底に、フロム的な発想があることを確信していた。とはいえそれは、あくまでも私の推測に過ぎなかった。自分がこのゲームを楽しむうえで、そう解釈するのが心地よかったに過ぎない。

だが、このイベントによって、この推測は正しいことが示された。もう偶然の一致では済まされない。これには背筋が凍る思いだった。

私が「自由からの逃走」に辿り着いたのは、紆余曲折ありながらもバルバトスのあの言葉を1年間信仰し続けた結果だった。そういう意味では、きっかけは原神だったが、全く異なる経路で辿り着いたはずだったのだ。

個人的には悔しさもある。私は明らかに、開発者の掌の上で踊らされていたのだ。1年間も。

一方で、大きな喜びもある。

私は、このゲームを正しくプレイしていた。このゲームが伝えようとしているメッセージを正しく受け取っていた。バルバトスのあの言葉にただならぬものを感じ、それを原神をプレイする上での、そして現実世界を生きる上での指針に設定するだけの直感を持てていたのだ。

優れた考察には予測力がなければならない.内部での整合性と証拠に支えられていなければならない.

とKemonomythで語られていたが、私は十分に予測に成功したと言えるだろう。考察班として望外の喜びだ。

なんとかして、スネージナヤ実装までにメインクエストを追いつかせたい。幸い、この数カ月のプレイで、ナド・クライ編を始めるための前提条件はほぼ全て達成できた。あとは、シナリオを進めるだけだ。

おまけ#

フィッシュルさんかわいい。

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