目次
きっかけ
最近、Home Assistantをこねくり回して、自分の生活を厳格に管理してくれるノエルさんシステムを構築した。
しかし、ふと立ち止まってみると、このタイミングでこのシステムを作り上げたのには、かなり奇妙で深遠な意味があるように感じられた。
私が10月の終わりに完成させたエッセイ動画では、カントやバルバトスの言葉を引用しつつ、「私は旅人になりたいのだ」という結論にたどり着いていた。しかし、実際には、自宅内に自らを監視するシステムを構築している。「旅人」という概念とは完全に対極にあるように思える。
一体、何が起こっているのか?
12/12。友人と忘年会で浅い話や深い話をしている中で、私は「自由に疲れているのかもしれない」と感じた。そして突如、「自由からの逃走」という本があったことを思い出した。
ぶっちゃけタイトルしか知らないが、もしかしたら何か面白いことが書いてあるかもしれない。
…ということで読んでみたところ、割と人生を変えた一冊級の超名著だった。
内容まとめ
この記事では、自分なりの解釈をまとめます。客観的に正しいまとめが知りたい場合はGeminiさんに聞くと良いはず。
自由とは
自由には、消極的自由と積極的自由がある。
消極的自由
…からの自由。「恐怖と欠乏から免れ…」みたいな意味でのやつ。中世以降、人間はこの意味での自由を獲得することができた。
積極的自由
…への自由。これが欠けているのが、現代社会や現代人がおかしな方向に進む原因である。
これが一体何なのかは後述する。
歴史の流れ
中世まで、人間は「一次的な絆」によって社会と繋がっていた。つまり、神とか強力な社会システムの中に個人は固定化されていた。ヒエラルキーの違いは崩しようが無く、個人の自由(というか個人という発想自体)が無かった。ある意味では何も考えずとも、既存の社会システムの中で一生を終えることができた。
しかし、宗教改革によって既存の教会の権威が崩壊したり、啓蒙主義によって宗教の権威が崩壊したりといった過程を経て、人間は消極的な自由を手に入れると同時に、一次的な絆を失った。これが現代人の不幸の始まりである。
3つの逃避のメカニズム
フロムは、以下の3つの逃避のメカニズムを挙げている。
権威主義的性格
他者と渾然一体になろうとすること。共生への渇望。
…と言うとあまりにも分かりづらい。もう少し噛み砕いて言おう。権威主義的性格とは、サディズムとマゾヒズムが共通して持っている発想である。
サディズムは相手を粉砕して自分に取り込もうとする心の動きであり、マゾヒズムは自分を粉砕して相手に取り込まれようとする心の動きである。現れる結果は両極端だが、いずれにせよ「相手と一体になろうとする」という点では共通である。
なぜ良くないのか?
サディズムなら他者を、マゾヒズムなら自身を滅却させることになるから。本当の意味での人と人との関わりはそのようなものであるべきではない。自分自身と他者自身を尊重しなければならない。
注意: 合理的権威と非合理的権威
フロムは、必ずしも全ての権威が悪だと言っているわけでは無い。先生と生徒の関係の間には明らかに権威が存在しているが、場合によってそれは良い権威であるかもしれないし、悪い権威であるかもしれない。
良い権威のことを合理的権威と呼び、悪い権威のことを非合理的権威と呼ぶ。これらの違いは、合理的権威は最終的にその権威自体の消滅に向かう一方で、非合理的権威は権威の拡大に向かうこと。
例えば、合理的な権威による先生と生徒の関係では、先生は生徒の成長を望む。最終的なゴールは生徒が先生の知識全てを吸収して超えていくことであり、その意味で先生の権威自体は消滅する。
一方で、非合理的権威による先生と生徒の関係では、先生は生徒に思想を押し付ける。あるいは、生徒が先生の教えに疑問を投げかけたりするのを許さない。このような場合、権威は消滅どころか拡大の方向に向かっていく。
破壊衝動
「生きられなかった生」が腐敗して発生する衝動。
これについては、フロイトの理論を前提に置くとわかりやすい。フロイトは、人間の根本的な衝動をリビドー(生/性への衝動)とタナトス(死/破壊への衝動)の2つに分けた。
しかしフロムは、タナトスはあくまでも二次的なものであり、生物は生、成長、創造への衝動を持っていて、それが頓挫すると死への衝動へ転化すると考えた。
アニメータになれなかった人が、アニメスタジオに放火したという京アニ放火事件は、まさにこの典型例だと言えそう。
しかし、破壊衝動は必ずしも、自身の「生きられなかった生」を実現できた人に向けられるとは限らない。通り魔的な殺人事件を起こすかもしれないし、自傷行為に走るかもしれない。「無敵の人」系の犯罪はだいたいこれで説明できる気がする。
本来ならば、生や創造の方向に社会に影響を与えたかったのに、それが頓挫した結果、破壊によって社会と繋がるしか無くなってしまった、というのが破壊衝動の本質である。自傷にせよ他傷にせよまったく創造的な活動とは呼べないが、少なくとも社会に自分の存在をアピールし、擬似的に孤独を解消することはできる。
なぜ良くないのか?
言うまでもなく、活動のエネルギーは創造に向けられるべきであって、破壊に向けられるべきではないから。
機械的画一化(オートマトン化)
社会的性格を内面化して、自分の思考/意志/感情を見失うこと。催眠術にかけられたような状態。
小規模な例でいえば、ある映画を見て「イマイチだった」と思ったのに、レビューでは大絶賛だったので、自分の感想を修正してしまうとか。もっと抽象的な例で言えば、「時間を守らなければならない」とか「仕事に就いていなければならない」というのは資本主義社会が要求した社会的性格に過ぎず、それを内面化しているだけかもしれない。
なぜ良くないのか?
オートマトンになることで確かに社会でうまくやっていけるかもしれないが、本来の自分が望んでいたことの直接的な解決にはならないから。これはまがい物の「一次的な絆」として、見た目上は孤独を紛らわすために機能するかもしれないが、意識しないところで「生きられなかった生」が発生し、破壊衝動を溜め込むことになる。
現代の大多数の人が最もやりがちな逃避の形態かもしれない。
なぜヒトラーは流行ったのか?
ここまでの概念を使うと、ナチズムの流行が見事に説明できる。
ナチズムは特に下層中産階級に熱烈な支持を受けていた。何故かと言えば、まず彼らは強者を愛し、弱者を憎む傾向が強かった。つまり、権威主義的な性格を持っていた。
しかし、第一次大戦後の経済的混乱の中で彼らの立場は危うくなった。これまで愛していた皇帝や伝統的な権威は力を失い、見下していたプロレタリア階級に逆転されるおそれが出てきた。
ヒトラーは、彼らに対して「アーリア人の純血性」という形で、まがい物の「一次的な絆」を提供し、彼らをオートマトン化した。
次に、ヒトラーは新たな権威を提供した。つまり、アーリア人の運命とかヒトラー自身を絶対的な非合理的権威として、他の国やユダヤ人を見下す対象として提供した。そして、破壊衝動の発散方法として世界征服を企てた。
一体どうしたら良いのか?
冒頭にある通り、「自由からの逃走」は主に診断を提供するものであり、処方箋を提供する目的で書かれたものではない。それらはフロムの後の著作で語られているらしいが、「自由からの逃走」からも多少の解決策を得ることはできる。
基本的には、上記の3つの逃避のメカニズムを意識的に回避すると良い。
- オートマトン化しない
- 自分の本物の思考/意志/感情を失わないこと
- 破壊しない
- 創造的な活動にエネルギーを注ぐこと
- 非合理的権威に屈しない
- 自分や他者を消滅させるのではなく、自我の境界を保った上で対等に関わること
これらを達成するとき、人間は独立した自己を保ちつつ、世界から孤立を感じることも無い、本物の「積極的な自由」を獲得することができる。
これは、重要なのは活動そのものであり、結果ではなくプロセスであることを意味する。我々の文化においては、重点はまさに逆である。我々は具体的な満足のためにではなく、商品を売るという抽象的な目的のために生産する。我々は物質的あるいは非物質的なすべてのものを買うことによって獲得できると感じており、こうして物は、それらに関連する我々自身のいかなる創造的努力からも独立して我々のものとなる。同様に、我々は自分たちの個人的資質や努力の結果を、金、威信、権力と交換できる商品とみなす。こうして重点は、創造的活動の現在の満足から完成品の価値へと移行する。それによって人間は、真の幸福を与えることができる唯一の満足――現在の瞬間の活動の経験――を逃し、捕まえたと信じた瞬間に失望させる幻影――成功と呼ばれる幻想的な幸福――を追いかけるのである。
もし個人が自発的な活動によって自己を実現し、こうして自分を世界に関連づけるならば、彼は孤立した原子であることをやめる。彼と世界は一つの構造化された全体の一部となる。彼は自分の正当な場所を持ち、それによって自分自身と人生の意味に関する疑念は消滅する。この疑念は彼の分離と生命の阻害から生じていた。彼が強迫的でも自動的でもなく自発的に生きることができるとき、疑念は消える。彼は自分自身を能動的で創造的な個人として認識し、人生にはただ一つの意味、すなわち生きる行為そのものがあるだけだと認識する。
「きっかけ」に対する回答
「自由からの逃走」は、私の精神に何が起きたかに対する完璧な回答も提供してくれた。大げさに言えば、私は中世から現代に至るまでの数百年の歴史を1年で体験してきたらしい。
1年前まで、私は「ニィロウ」という一次的な絆(あるいはその代用品としての共生関係)によって社会と結びついていたと言えるのかもしれない。それを失った結果、私は逃避のメカニズムを起動する羽目になった。
カント的な義務論を、上手く自分の中で統合すること無く内面化した結果、自己と義務論が対立する構造が生まれてしまった。その結果、内面化された権威に対するマゾヒズムに陥り、仕事に没頭したり健康を重視したりという形でオートマトン化を進めた。そして、生きられなかった生は破壊衝動へと転換され、内面化した権威の外部装置化、すなわちノエルさんによる厳格な管理と自傷行為に走った。
結論
やっぱり風神様の言葉は正しかった。
Traveler, as you set off on your journey once again, you must remember that the journey itself has meaning.
The birds of Teyvat, the songs and the cities, the Tsaritsa, her Fatui and the monsters… they are all part of your journey.
The destination is not everything. So before you reach the end, keep your eyes open. Use the chance to take in the world around you…

一部の情報は古くなっている可能性があります



