
原神に復帰し、一週間かけてナタの魔神任務を完了しました。
厳密に言えばまだ第5幕までしか完了していないものの、第6幕は旅人編でしょうから、一区切り付けるには十分なタイミングだと判断しました。
その感想です。
前提知識
ナタには実装直後にとりあえず探索に向かったものの、当時はまだフォンテーヌ編すらクリアしていない状況でした。その後も探索報酬目当てで各地を巡ったものの、ここで繰り広げられるストーリーは一切知らないまま。
知っていたのは、ナタが火元素と戦争の国であるということ、アフリカ、南米、ネイティブアメリカンの地理・文化に基づくこと、そして音楽が凄まじく良いということだけです。
ナタ編開始前のマップ状況。探索は進んでいるが、ストーリーは何も知らない。
後述の動画のコメント欄で見てしまったコメント。これが旅人のセリフの引用である可能性は高く、もしそうだとすれば、かなり不穏な雰囲気。
(実際そうだったし、不穏どころじゃない状況での発言だった)
音楽について
ナタの音楽は本当に素晴らしい。初めての戦闘時、代表と思われる通常戦闘曲「Anthem of Savannah」が流れ出したときには、コーラス入りであることに衝撃を受けました。
その後何度も聞き、旅人のテーマと言える「Photon of Fluctuation」モチーフとナタのテーマを上手く組み合わせていること、この曲が見事にアフリカおよび南米の民族楽器とコーラスをオーケストラに融合させていることにただ圧倒されました。
オーケストラに民族楽器を取り入れるというのは以前の地域でもやっていたことですが、そこにコーラスが入るとなれば、音楽的な構成はもちろんのこと、ミキシングとかも恐ろしく大変だっただろうと思います。それをやってのけたのは本当にすごい。
しかも、その歌詞はスワヒリ語であるというのもまた嬉しいポイントです。
私は Civilization 4 が大好きであり、Christopher Tin も大好きです。
言うまでもなく、Baba Yetu はビデオゲームにおける最高の音楽だと確信しています。実際、ビデオゲーム音楽初のグラミー賞を獲得した作品だし、当然、原神の音楽制作チームがBaba Yetuを聴いたことが無いはずはない。
そりゃあ、人類の故郷であるアフリカを舞台にする上、コーラスを付けるのであれば、歌詞の言語はスワヒリ語一択ですよね。
歌詞について
好きな曲に歌詞が含まれているならば、その歌詞の意味を理解せねばなりません。
スワヒリ語↓
Shujaa
Unasafirini kwa matakwa ya watu wakoMnachagueni vita kwa majina ya shujaaMwishowe mnaunguweni tena majivuniMwishowe mnaunguweni tena majivuni
Ukuu ukuuKwa wanao ona yajayoTutaimba wimbo wa mwanga moto, usiku wa giza
Youtube の字幕として登録されている公式英語訳↓
Hero
You embark on a pilgrimage, for the wishes of the peopleYou choose to battle, to earn a glorious nameIn the end, you rekindle in ashes because of a dreamIn the end, you rekindle in ashes because of a dream
Glory, oh gloryTo those who look into the futureSong of the light, fire of the night (Light and fire, the light and fire bestowed to us)
Geminiに日本語訳してもらったもの(なぜ公式の日本語字幕が付いていないんだ)↓
英雄よ
汝は民の願いのため、巡礼の旅に出る栄光ある名を得るため、戦いを選ぶその果てに、夢ゆえに 灰の中から蘇るその果てに、夢ゆえに 灰の中から蘇る
栄光よ、栄光よ未来を見据える者たちに光の歌、闇夜の炎 (我々に与えられた光と炎)
この歌詞には何か覚えがあるなと思ったら、なんとなんと、火属性キャラのレベルアップ素材のフレーバーテキストを参照しているではありませんか。
このアイテム自体は最初期からあったはずで、その伏線をこんな形で回収したとは。
ここまで来ると、いい曲とか感動みたいな感想を通り越して、そのこだわりように恐怖を覚えます。
Christopher Tin の影響について
「Anthem of Savannah」のついでに聴いてしまったナタのメインテーマ「Natlan」には、明らかに Christopher Tin の影響が見受けられました。スワヒリ語コーラスの使用はもちろんのこと、曲の構成や、Christopher Tin が大好きな、サビ(?)部分での6-4-1-5進行までモロです。
しかし、Natlan の素晴らしさを本当に実感するのは、ナタの魔神任務を体験してからのことです。後ほど改めて触れます。
魔神任務
前置きが長くなりすぎた。ここからが本題です。
結論から言えば、ナタの魔神任務はたいへん素晴らしかったです。比較できるようなものでも無い気がするものの、どうしてもランキングを付けるとすれば、これまで最高傑作と考えていたフォンテーヌ編と比肩する、あるいは一部の側面においては凌駕したという印象です。
では、なぜそう思ったのか。正直今はかなりテンションが上っていて冷静さを欠いている気がしますが、なんとか根拠を述べていきます。
「戦争」の描き方
ナタは戦争の国と聞いて私が最初に思ったのは、「一体どうやってそのテーマを表現するんだ?」という点でした。
他の国のテーマである自由、契約、永遠、知識、正義……と異なり、戦争に関してはどうやっても、その負の側面を描かないわけにはいきません。あまりに戦争を美化してしまっては、(特にこのご時世にあっては)極めて薄っぺらいものとなってしまうでしょう。
しかし、戦争の負の側面に関しては、原神というかわいいキャラクターをガチャで引かせるためのゲームにしてはあまりにも重すぎます。
競技場があることから、何かオリンピック的な、あるいは少年漫画のトーナメント編的な物語にするのが妥当な落とし所だろうと思っていました。しかし、フォンテーヌ編の頃からの原神は明らかに、ゲーム内で死者を出すことを厭わなくなっています。油断はできません。
そんな気持ちで進めていきました。
第1-3幕についてはまあまあ、いつものお使いクエスト祭りだなという感じでした。正直、別窓でネットサーフィンしながら物語を追ってた。
とはいえこれら前半部分がまったくつまらなかったかと言えば、全然そういうわけでもありません。カチーナちゃんとムアラニちゃんの関係性は大変尊いものでした。
また、戦争や死といった概念が身近にある文化の描き方がすごく良いなと思いました。単に悲壮感に覆われるのではなく、それらを当然の日常として適応している感じは、(実際どうなのかはわからないけど)リアルさを感じます。
これについては、まさに当事者目線で代弁してくれている意見を見つけました。
私にとって、戦争はただ存在するもの、という感じでした。家族が逃げる前の故郷(ニカラグア)では、今ではインターネットカフェになっている場所にも銃弾の跡があり、ジョン・レノンの壁画も見られました。
自分の経験を伝えたかっただけなんだ。もしかしたらHoyoがこれを見るかもしれない。もしかしたら埋もれてしまうかもしれない。誰にも分からない。でも、正直言って、この全てをシェアしたかったんだ。なぜなら、ただの暴力の連続ではなく、多くの人にとって人生の一部である戦争という視点をゲームで表現できたのは、本当に嬉しかったから。
フィクションの、特にゲームでの戦争の描き方というのは、どうしても美化しすぎたり、悲劇的な側面を強調しすぎたりしがちなところがあると思います。それが生まれつき身近にある人の感覚というのはなかなか想像できないものですが、原神はかなり上手く、両極端のバランスを取ってくれたなと思います。
第4幕
ナタ編の大部分はこのパーティでプレイしました。フィッシュルによる超開花反応は諦めて、この前デートしたバーバラさんを回復役として採用。食事システムは好きなのですが、熱い戦闘中にいちいちメニューを開いてご飯を食べるのもなんだかなという気持ちになったので。これは正しい選択でした。
旅人はフォンテーヌから来たのだから水元素を使うしかありません。どう考えても、戦闘上のメリットは全くありません。ロアとの整合性を取るための選択でしたが、これが意外と、ナタで新登場の新しいガードゲージを削るのが速い。実用的な効果を発揮してくれました。
さて、クエストマーカーがベッドにある時、だいたいその後には長くて重い展開が待っています。腹を括って就寝したら、やっぱりそうなりました。
ここで導入されたゲームシステムは、「自分は今アビスとの全面戦争の真っ只中にいるのだ」という没入感を高めるのに最善の役割を果たしました。
大規模戦闘感を出さねばならない一方、画面に表示できるキャラクターの数には厳しい制約があることを考えると、このシステムは完璧ではなくとも最善の選択だったと思います。Ace Combat 6 を思い出した。
戦況が悪化していく様子の描き方も巧妙でした。最初にこの画面が表示された時、ああ、よくある戦闘イベントみたいに、連戦の中だるみを軽減するためのバフ/デバフがつくんだな、くらいに思っていました。
それがやがて、「各拠点の戦闘効果が不明」になり始めます。もはやゲーム上の意味がありません。最初に説明された、拠点ごとに伝達使から最新の情報を受け取って地図を更新するというシステムもまともに機能しなくなり、最終的には、ほぼ全ての地点で「しばらく更新が無いので状況は不明」な状態になっていく。この演出には、本当に恐ろしいものがありました。
「魔物の数」「犠牲者数」カウントは直接的すぎてちょっといかがなものかと思ったけど。
知から愛への移行
バーバラさんとのデートでは「善の研究」で述べられている「愛(人格的な知識)」から「知(非人格的な知識)」への移行を(おそらく)体験したわけですが、この任務ではその逆を体験しました。
クイクさんの死はそれ自体が衝撃的でしたが、その描き方もエグいものがありました。
敷物の上に彼女の身体が横たえられ、花が添えられ、その脇には念仏(祈り?)を捧げる女性が居るという状況。原神ではこれまでにも少なくない死者が出ていますが、それとは一線を画した描き方です。これを見て、「うわ、ここまでするのか」と思わずスクショを撮ろうとしました。
……が、そこで何か強烈な抵抗感が内心から湧き上がってきたのです。葬式の場で故人を撮影するなんて間違っている、という道徳的な感情、良心の呵責と言えるものでした。
この躊躇いを感じたこと自体に、さらなる衝撃を受けました。これはゲームであり、画面に写っているのはピクセルでしかない。少し抽象度を上げたとしても、3Dモデル自体は生前の姿と変わらないはず。なのに、私はそのオブジェクトを「気安く撮影するべきでない遺体」として認識していたのです。
ここでようやく、私がこの世界に対して人格的な関心を抱いていること、要するにストーリーにかなり没入していることに気づきました。
それゆえ、ナタ編で最も印象的なシーンでありながらも、この場面のスクショはありません。
第5幕
一転攻勢の後、最終決戦へ。
色々と演出が熱すぎて、これ!と取り出して言えるような要素がありません。
ただ、ここで遂に旅人が火元素を扱えるようになったのには、本当に痺れた。
しかも Constellation が全てこの戦闘限定の効果というのも、すごい振り切り方です。確かに、魔神任務の最終盤で火元素がアンロックされるならば、もはや「クエストを進めていくと星座がアンロックされる」システムは無意味なわけで、ゲームシステムを上手く悪用して演出に全ブッパした感があります。
今後ウィークリーボスとして戦うときにも、パーティーに旅人は必須ということになるのでしょう。
フォンテーヌ編のボスであるクジラさんは取って付けたというか、画竜点睛を欠いた感がすごかったですが、ナタ編ではボス戦に至るまでしっかり熱量を高め続けてくれました。
パイモンについて
やっぱり私はパイモンが好きです。旅人との別離に耐えられるようになったのには、スメール時代からの彼女たちの絆の深まりを感じました。ボス戦の最終フェーズでは、悔しいけど泣きそうになってしまった。
「漁獲」のためにひたすら釣りをしてたときはミュートにしてたけど。ごめんね。
まとめ
ということで、完走した感想です。
ナタ編はかなりスロースタートでした。特に前半は、あまりにもロアの提供に忙しすぎた感があります。
一つの国なのに6つの部族が存在し、ゲームシステム上も重要な部族ごとの竜が存在し、その上主要キャラクターの紹介、ナタのルールと世界観、テイワットに関する追加情報を説明しなければならない。そうなるとまあ、詰め込むしか無かったのかなと思いますが、それにしてもちょっと「見せるのではなく語る」方式になりすぎでした。自分の記憶している限りでも「偉い人との質問コーナー」が3回もあったのは、その象徴と言えるでしょう。
また、ストーリーに対するツッコミどころを潰すための会話がやたら多かったなという印象も強いです。パイモンが「こうするんじゃダメなのか?」と聞き、「こういう理由でダメなんだ」と答えるみたいな。
「ナタの魔神任務はイマイチ」という声をちらっと聞きましたが、前半に関してはそう言われるのも納得です。
しかし第4幕以降は、しっかりストーリーとゲームシステムとのレゾナンスが成立していたように感じます。しかも、かなり高いレベルで。少なくとも自分は没入しました。
「集団の代表として集団のために何かを成し遂げる」みたいなことって、たぶん人間の本能レベルで高揚感を与えるものなのだと思います。その感覚を上手くくすぐられてしまいました。
改めて音楽について
そしてその感覚を高めるのに重要な役割を果たしたのは、やっぱり音楽です。Anthem of Savannah のモチーフや Natlan のモチーフが、競技場や「談義室」、その他フィールドやストーリー上のあらゆる場所で流れる度に、ナタへの愛国心が高まっていきました。
音楽に関して最も衝撃を受けたのは、ナタのテーマ曲 Natlan が物語上の「反魂の詩」であったという点です。カチーナちゃんの一件でこの曲が流れ出し、その事に気づいた時には鳥肌ものでした。死者を復活させるための詩だという背景情報が加わったことで、歌詞の意味を理解できるようになったのです。
そして魔神任務を完了した今、この詩はナタの人々から蛍さんへの応援を象徴したものにもなりました。私は蛍さんなので、私もこの曲からバフが得られます。
個人的な思い出ですが、私が中学生の頃、移動教室というイベントがありました。要はみんなで合宿するイベントなのですが、最終日の夜にはキャンプファイヤーを行い、その際、班ごとに何か出し物をしなければならなかったのです。
私の班では何故か、Baba Yetu をエア合奏するという案が通りました。私は責任を取って、歌詞をローマ字読みで歌いました。どう考えても私以外にCiv4をプレイしている人は居なかったはずですが、この曲の素晴らしさはゲームに関係なく伝わったようです。
ナタでの冒険は、あの時の原始的な高揚感を思い出させてくれるものでした。
さいごに
考察すべき点はまだ残っています。そもそも、ナタで投下されたロア爆弾を私は全く消化しきれていません。結局「死の執政」って何なんだ?すらよくわかってない。
ナタの死生観、マーヴィカさんの時間の捉え方なども興味深いし、そもそも蛍さんが文字通り英雄になるストーリーなのに「英雄の旅」を使わないのは明らかに手落ちです。
これはまた、興奮が落ち着いた時に考えてみようと思います。