この記事では、Undertale の物語をジョーゼフ・キャンベルの「英雄の旅」の概念を使って分析してみます。
この記事にはUndertaleに関する重度のネタバレを含みます。 まだプレイしていない方は、速やかにこのページを去り、プレイ動画や攻略に関する一切の情報を遮断した上でUndertaleをプレイしてください。
なぜこれまで英雄の旅の観点から Undertale の物語を読もうとしなかったのか、自分でも不思議で仕方がない。 5 年越しくらいになるが決着をつけよう。
旅を始める前に
ボグラーの助けを借りておこう。以下の項目を整理すると、見通しが良くなる。
主人公の抱える<問題>問題>
- 外的な問題
- 地下世界を脱出する
- 内的な問題
- ニンゲンとモンスターの一体化
極性
- ニンゲン vs モンスター
- たたかう vs みのがす
英雄の旅
さて、本題に入っていこう。
本稿では、P ルートを対象とする。
プロローグ
物語は、Ebott 山にやってきたニンゲンの子供が地底に落ちるところから始まる。
キャンベルが
また、樹ではなく宇宙の山が世界を表すこともある。山の頂上には神々が住む光の蓮の花のような町があり、山の谷には悪魔が住む町があって、宝石の輝きに照らされている。(上P70)
と指摘する通り、Ebott 山はニンゲンの世界とモンスターの世界をつなぐ連絡通路、世界軸である。
英雄の冒険が成功すると、その結果として生命が再びあふれ、世界という身体に流れ込むようになる。(上P69)
らしいが、果たして主人公はそのような結末を迎えることができるだろうか?
冒険への召命
早速、「英雄の旅」どおりにいかないポイントが出てきた。
実は、Undertale において冒険への召命はほとんど与えられない。
この時点でまともにやり取りする相手は Toriel くらいだが、彼女は主人公に Ruins に留まることを強く要請している。 よく思い起こしてみると、誰も主人公に「あなたはこれから冒険に出なければならない」とは言っていないのだ。
物語内で唯一冒険に出るよう促す(ように見える)のは、主人公が Toriel 戦後にベッドで眠ったときに見る夢の中の声だけである。
Chara, please…
Wake Up!
You are the future of humans and monsters…
主人公が Chara だと認識しているプレイヤーから見れば、この声は紛れもなく夢の世界から現れた使者による召命である。『まちカドまぞく』でそうであったように、極めて適切な召命の方法だ。
だが注意してほしい。この声は、実際のところ主人公ではなく Chara に向けられたものである。 その事実を踏まえれば、実はこれは全く召命ではない。
だから、Undertale の物語中では、誰も主人公に召命を与えていないということになる。 主人公を突き動かすのは、プレイヤーの意思に他ならない。
召命拒否
主人公は Ruins に留まるよう Toriel から要請される。
主人公やプレイヤーは、冒険に出ることなく、Toriel と共に穏やかに Ruins で暮らすことを選びたくなるかもしれない。
Ruins を脱出するまでを一つの「英雄の旅」の円環だと考えれば、Toriel は「誘惑する女」として主人公に冒険を辞めるよう働きかけているのだ、と考えることもできる。
自然を超越した力の助け
文字通りの Tutorial キャラクターである Toriel が、地下世界の歩き方を教えてくれる。
また、携帯電話を渡してくれるのも彼女だった。これはハッピーエンドを迎えるために不可欠の魔術的な道具だ。
最初の境界を越える
これはもう疑いの余地なく Toriel 戦だろう。 主人公は境界の守護者に対して自身の強さを証明し、冒険に踏み出さなければならない。 メンターが境界の守護者となり、彼を倒すことが境界越えの試練になる…という物語は多く、Undertale もその例に漏れない。
ただ、ここでもよく注意する必要がある。ここには大きなひねりがある。
こちらの HP が少なくなると、Toriel は攻撃が当たらないように弾幕を逸してくれる。 この戦闘で主人公は(基本的に)負けることはない。
どうやっても必ず勝てる試練で勝利したところで、自身の力を証明することはできない。 ということは、この戦いは境界越えの試練として成立していないことになってしまう。
試練の本質
では、どう解釈したら良いのか?この場面で、敗北の可能性がある試練があるとしたら何だろうか?
実はある。Toriel を見逃すことができるか?という試練だ。
主人公は Toriel を倒すこともできるし、見逃すこともできる。いずれにせよ物語は進むが、前者を選んだ場合、ハッピーエンドへ進む道は閉ざされる。
モンスターを攻撃することなく粘り強く対話する能力や精神力こそが、この試練において主人公(そしてプレイヤー)が証明しなければならない強さである。
そう考えれば、Toriel には HP を削ってからの見逃すコマンドが通用しないことも、そして本当に見逃すまでに 24 回もの「みのがす」失敗を要することも、当然のことのように思える。
興味深いことに、この戦闘を終えるまでにかかる最小 24 ターンという数字は、全モンスター中でおそらく 1 番長い。ラスボスよりも長いのだ。
そして同率 1 位が Sans である。彼との戦闘を終わらせるには、24 回の「たたかう」を必要とする。
厳密には、25回目の攻撃が命中することでSansとの戦闘は終了する。 しかし、この25回目の攻撃はプレイヤーの意思と関係なく行われる。コマンドの選択回数で言えば、やはりTorielと同数になる。
もしかしたら数え間違いがあるかもしれない。
クジラの腹の中
Toriel 戦は、「クジラの腹の中」のステージと捉えることもできる。 このステージで重要なのは、英雄が腹の中へ呑み込まれ、その中で変容を体験するというイメージだ。
誰でも物理的には、歩いて神殿の守護者を通り過ぎることはできるが、だからといって守護者の価値が貶められることにはならない。 中に入った人が聖壇を心から受け入れることができなければ、その人は事実上、まだ外部の人間だからだ。 神を理解できない人は神を悪魔とみなし、近づくことが許されない。 つまり寓話的に考えると、神殿に入ることと英雄がクジラの口に飛び込むことは同じ冒険ということになり、どちらも視覚言語では生が一点に集まる行為、生が新しくなる行為を表すことになる。 (上P140)
Toriel 戦のために言い換えれば、「誰でも Toriel 戦を突破することはできる。だが、『誰も殺す必要は無い』ことを心から受け入れることに試練の本質がある。これを理解できない人は P ルートに進むことができない。」ということだ。
グレートマザー
ユングの主張を受け入れると、Toriel が母親的なイメージを持つことがより一層深い意味合いを帯びてくる。
「グレートマザー」の原型には、母性、包含、死と再生といった意味を伴う。 Toriel は主人公に「クジラの腹の中」のステージを体験させるためのキャラクターであり、だからこそ、彼女は保護的な母親として振る舞うのだ。