ライターズジャーニーで面白いことが言われていたのでメモ。
極性
電力にプラスとマイナスが、磁力に N 極と S 極があるように、物語も両極化されたシステムに支配される。
ボグラーによれば、
極性は、いくつかの単純なルールに管理されているが、無限の対立や複雑さを生み、観客の関心をとらえることができる、ストーリーテリングの本質的な原理である。
らしい。
ボグラーは、極性のルール(?)を以下の 16 個にまとめている。多いわ!
極性のルール
1. 両極は惹かれ合う
対称的な性質を持つ二人は惹かれ合う。
2. 両極化された対立は観客を惹きつける
接近した両極の二人の間には対立が生まれる。対立は観客の注意を惹く。
3. 極性はサスペンスを生む
極性は結果にまつわるサスペンスを生む。最後にはどちらの世界観が勝つのか?などなど。
我々の人生も極性の対立に満ちており、自分の人生に同様の試練が起きたらどう対処するべきか、その手がかりを観客は探そうとする。
4. 両極は逆転することがある
対立がヒートアップすると、両極が逆転することがある。
これが起こると、2 人を引き寄せていた力は拒絶の力に変化する。
5. 運の逆転
逆転が起こると、登場人物の運も覆る。
ワンシーンの間に、誰かの運が最低でも一度は逆転することが望ましい。
6. 秘密の認識
逆転は、秘密が明かされる場面で発生する。
7. ロマンスの逆転
ロマンスでは、恋人たちは信頼と疑いなどの両極を行き来し、何度と無く逆転サイクルをくぐり抜ける。 拒絶と不信から始まったラブストーリーは、二人がちがいを克服し共通点を発見するにつれ、しだいに惹かれる気持ちへと逆転していく。
8. 極性とキャラクター・アーク
両極化された関係は、登場人物の徹底した探究を可能にする。
9. 反対側の極
ある登場人物が極性の逆転を起こすと、対極にいる人物から、多少なりとも逆方向の動きが生まれる。
10. 極端に走る
自分の対極の性質を試す者は、対極の極限まで暴走してしまうことがある。
そのような人物は振り子のようにもとの極性と対極の間を行き来して、最終的に中間のどこかバランスの良い地点に落ち着く場合もある。
11. 逆転の逆転
両極が完全かつ永続的に逆転してしまうことはめったにない。 人には自分の基本的な性質にとどまろうとする強力なルールがある。なので、一度逆転を体験して新しい学びを得た人物は、再び自分本来の極へ引き下がる。ただし、戻る先は最初とは少し違う場所になる。
12. 極性は解決策を求める
第三の選択肢へと転換することで、極性の対立を解決しようとすることがある。
これはテーゼとアンチテーゼからジンテーゼを導き出すのと同様である。
13. 両極化された世界
極性はメタパターンであり、個人間の衝突のみならず文化や価値観の衝突まで、どんなスケールでも機能する。
14. 内面の両極性
物語は、人の内面に存在する極性を中心に組み立てられることもある。
15. アゴン――競い合いの力
極性の強い力は「アゴン」として認識された。これは、あらゆる競い合いを支配する闘争と対立の力である。 アゴンには採決の意味もある。つまり、どちらが強い・正しいのかはっきりさせるということ。
アゴンはアゴニー(苦悶)の語源でもある。プロタゴニスト、アンタゴニストにもアゴンは埋め込まれている。
16. 極性が方向を与える
明確な極性は、物語の方向性をわかりやすくする。
ただし、使い方を誤ると、本来はもっと複雑なはずの状況を極度に単純化してしまうかもしれない。そこは注意が必要。
詳説: 逆転の逆転
「逆転の逆転」の概念は特に面白いので取り上げる。
二人の対極的な人物 A と Z が登場すると、典型的には以下のような動きが発生する。
- Z からの圧力で、A は振り子のように揺れ始め、極端な言動の実験をする。
- A は一時的な極性の逆転を体験し、Z を対極へと押しやる。
- A と Z は本来の快適な範囲に戻るが、より中心に近くなり、両極双方の体験を許容できる可能性が広がる。
これが現れていると思われる例を以下にいくつか挙げてみる。
例: まちカドまぞく 3 巻
極性: 光 vs 闇
上の例で、
- A = 千代田桃
- Z = シャミ子
をそのまま代入すれば良い。
シャミ子は千代田桃に闇堕ちするよう誘いをかける。千代田桃は 2 巻終盤時点では拒否するが、黒い髪飾りや服を着用して、闇側に接近する実験をする。
3 巻終盤では、シャミ子を悪夢から救うために一時的な極性の逆転を体験する。 逆転はすぐに解消されるが、これ以降、精神が不安定になると闇堕ちするようになる。
例: まちカドまぞく 3 巻(よりルールに忠実で内的な極性の例)
極性: 一匹狼 vs 小規模事業まぞく
やはり上の例で、
- A = 千代田桃
- Z = シャミ子
をそのまま代入すれば良い。
シャミ子は千代田桃の抱える最大の欠点の一つを 3 巻冒頭で指摘している。つまり、「貴様は一人でなんでもいい感じにしようとし過ぎ」なのだ。
「弱点を宿敵に教えていいの?」と千代田桃はそんなに真剣に受け止めてはいないようなそぶりを見せる。だが、実際シャミ子の指摘は千代田桃に自身の極性を再検討させるのに充分な影響力を持っていた。
アニメ 2 丁目 4 話で、桃はシャミ子に千代田桜捜索を手伝うよう依頼する。ルール 9 により桃の極性が反転したのだ。
(Z からの圧力で、A は振り子のように揺れ始め、極端な言動の実験をする。) (A は一時的な極性の逆転を体験し、Z を対極へと押しやる。)
しかし、シャミ子と単身喫茶あすらに送り込むのは、ルール 10 の言う通りやや極端に走った行動だった。
喫茶あすらへのカチコミの結果、シャミ子は魔力料理で健忘が出てしまう。桃は外からの救出としてシャミ子を救出に向かう。 その過程で白澤店長から「君の頼み事がこの子にとってプレッシャーだったということだ」と指摘される。
その後の諸々の結果、シャミ子は一人で危機に立ち向かう力を身に着け、千代田桃は他の人を頼ることの必要性を学ぶ。
例: タイタニック
極性: 上流階級 vs 下層階級
やはり上の例で、
- A = ローズ
- Z = ジャック
をそのまま代入すれば良い。詳細な検討はボグラーがしているので省略。
シャミ子=ジャック説
ふと気づいたが、まちカドまぞくにおいて、シャミ子はジャックと同様、周囲に<触媒としての英雄>として影響を与えていることが多いようだ。
シャミ子の人間性は初めからかなり成熟しており、物語内でこれ以上成長する余地が無いように見える。(もちろん、シャミ子もいろいろと成長しているのを無視するわけではない。)
これは、まちカドまぞくが元々桃を主人公とした物語だったことの名残なのかもしれない。
アウフヘーベンシャミ子
ボグラー(P495)によれば、
両極化そのもものが、誤解に基づいたまちがい、あるいは、両陣営が最初によくコミュニケーションをとっていれば生じないはずのものだと気づけたおかげで、物語の極性が解決されることもある。
自身の問題があらかた片付いた 3 巻以降、シャミ子は周囲の人物に生じている対立をこの形で解決してジンテーゼに導く<触媒としての英雄>としてしばしば機能する。
例えば、陽夏木ミカンと「動揺すると周囲にささやかな不幸が降り注ぐ呪い」の対立について、シャミ子は対立を解消しウガルルを生むことに成功した。
哲学シャミ子の語っていた言葉は、文字通りシャミ子の哲学なのかもしれない。
参考文献
作家の旅路 ライターズ・ジャーニー: 神話の法則で読み解く物語の構造
クリストファー ボグラー 著、府川由美恵 訳
フィルムアート社, 2022